お笑いタレントとしてテレビのバラエティー番組などで活躍している勝俣州和(かつまたくにかず)さん。
そんな勝俣州和さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。
この記事では勝俣州和さんの家族構成や両親について紹介していきます。
勝俣州和の家族構成図

勝俣州和は9人家族
勝俣州和さんは、9人家族です。
父親
母親
勝俣州和(かつまたくにかず)
1人目の弟
1人目の妹
2人目の妹
3人目の妹?
2人目の弟?
4人目の妹
ご両親と妹と弟6人という家族構成です。
さらに祖父母も含めて11人の大家族でした。
勝俣州和さんは7人兄弟の長男なんですね。
画像引用元:女性自身
勝俣州和の実家は静岡県御殿場市
画像引用元:スポニチ
勝俣州和さんは、静岡県御殿場市で育ちました。
勝俣州和さんは7人兄弟の長男として生まれました。
両親が共働きで忙しく、祖父母も一緒に生活していました。
幼少期は芸能界には興味がなく、国語の教師になりたかったそうです。
そのため、大学は日本大学文理学部に進学しました。
ですが、大学4年生の時に国語教師には成績上位3名しかなれないことを知り、自主退学しています。
勝俣州和の父親はどんな人?
父親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
職業:衣料販売店の経営者
父親の職業は衣料販売店の経営者
父親の職業は、衣料販売店の経営者です。
両親は衣料販売店を経営していたため、昼間は祖父母が面倒を見ていた。
引用元:女性自身
父親と母親は、自営業で共働きだった為に祖父母が勝俣州和さんと兄弟達の面倒を見ていてくれたようですね。
父親のエピソード
父親と過ごした幼少期はとても楽しかったようです。
勝俣は「親父とおふくろといると、何でも楽しい時間に変わったんで、ありがたい(思い出)」と懐かしんでいた。
引用元:スポニチ
父親はまるで大御所の芸人さんだったと話しています。
僕の父はとにかく話がうまくて、子どもたちそれぞれに話題を振っては突っ込んで、笑いを起こす。まるで大御所の芸人さんのようでした。いや、それ以上かな。父が芸能界にいたら売れっ子になっていましたよ、間違いなく(笑)。
引用元:すみふの仲介 ステップ
勝俣さんの芸風に影響を与えているのかもしれませんね。
また、父親は若い頃はモテてていたことを明かしています。
厳格で豪快だったという父について、勝俣は「若い頃は御殿場の石原裕次郎って言われたんで、モテた」と解説。
引用元:スポニチ
とてもイケメンだったようですね。
勝俣州和の母親はどんな人?
母親のプロフィールや顔画像は?
画像引用元:女性自身
職業:父親と一緒に衣料販売店を経営
母親の職業は父親と一緒に衣料販売店を経営
母親の職業は、父親と一緒に衣料販売店を経営しています。
母親は、父親と一緒に共働きで家計を支えていたのですね。
母親のエピソード
兄弟が多いことで食べ物が少なかったとき、母親は他の家を羨んではだめであると教えてくれたそうです。
6人の妹や弟が「友達の家はもっといいものを食べている」と疑問を投げかけた。すると、母親は「ほかの家庭を羨んじゃダメよ。目の前にあることを幸せと思わなくちゃ」と教えてくれた。
引用元:女性自身
目の前にあることを幸せに思うという教えはとても素敵ですね。

勝俣州和の4人の妹と2人の弟はどんな人?
妹や弟のプロフィールや顔画像は?
一番左が勝俣州和さん、祖母、母、兄弟たちと
画像引用元:女性自身
兄弟の出生順は公開されていません。
しかし、兄弟の集合写真から、勝俣州和さん、長男、長女、次女、三女、次男、四女なのではないかと推測しました。
三女と次男の順番が推測となります。
妹や弟のエピソード
勝俣州和さんは長男として誕生しましたが、年を追うごとに妹や弟が増え妹4人と弟2人の7人兄弟になりました。
僕は長男だったので、幼い弟や妹がうまく話せないときは間に入ってフォローしたり、泣いている子に、「なんで親父が怒ったのか」をわかるように丁寧に伝えたり。
そういう環境で育まれたコミュニケーションが、自分の土台になっている気がしますね。トーク番組に出ても、ほとんど緊張しないのは、あの夕食の時間が「話す練習」と「聞く練習」に自然となっていたからなのかもしれません。
引用元:CHANTO WEB
頼りがいのあるお兄さんであり、その経験が現在のお仕事にも生かされているのかもしれないですね。
また、大家族ゆえカルピスを薄めて飲んだりしていたため、どうしたら濃い味を楽しめるか模索したといいます。
冷凍庫で凍らしてシャーベットにしたり、先に原液を口に入れてから水を飲んだりとしたそうで、大家族ゆえの知識も増えていったようですね。
一番困ったのは、ケーキを7等分にすることだったといいます。
ケーキがいちばん困りましたね。親父は『7等分にしとけ』と言うけど、奇数には切りづらい。だから、誕生日の人は2つ食べられるというルールにしました。そしたら、『デカした!』と褒められました」
引用元:女性自身
誕生日の人が2つ食べられるルールを作り、父親から褒められたそうです。
その数々の大家族での経験から、与えられた場をどんな知恵で乗り切るかを学んだようです。
勝俣州和さんが、バラエティで活躍できるようになった才能は幼少期から育まれていたようですね。
