ロッテの新星・佐々木朗希(ささき ろうき)選手は令和の怪物と呼ばれています。
そんな佐々木選手には、家族に関係する壮絶な過去があるようです。
今回は、プロ野球選手・佐々木朗希選手の家族について調査していきます。
佐々木朗希の家族構成図
佐々木朗希の家族構成
佐々木選手は、4人家族です。
兄
佐々木朗希
弟
父親は、佐々木選手が9歳の時に、東日本大震災の津波によって亡くなっています。
また、佐々木選手の祖父母も震災によって亡くなったそうです。
震災後、佐々木選手は母子家庭となり、4人家族で生活してきました。
東日本大震災で被災
引用元:スポニチ
佐々木選手の出身地は、岩手県の陸前高田市です。
陸前高田市は震災により甚大な被害を受け、佐々木選手とご家族全員が被災しました。
佐々木選手は、当時の記憶について語っています。
「ご飯を食べる事、お風呂に入る事、野球をする事。当たり前に思えた事のすべてが当たり前でない事をその時、感じました。」
引用元:文春オンライン
震災後、父親と祖父母を亡くした佐々木選手たち家族は、故郷の市を離れることになりました。
9歳という幼い年齢で、住み慣れた家も大切な家族も失った悲しみは計り知れないものだったでしょう。
また、佐々木選手は避難所での生活についても語っています。
「悲しき日々で心を支えてくれたのが野球だった。避難所でもボールを見つけてキャッチボールをした。野球が出来ることの幸せを感じながら、没頭した。」(引用元:文春オンライン)
悲しい現実から、唯一逃避できるのがキャッチボールをする時間だったのでしょう。
佐々木選手にとって、野球というものは幼少期から大きな心の支えになっていたようです。
佐々木朗希の父親は元葬儀屋で母親は保険営業マン!
引用元:スポニチ
佐々木朗希の父親は葬儀屋だった
佐々木選手の父親・功太(こうた)さんは、生前は葬儀屋をしていたそうです。
津波によって、当時37歳という若さで亡くなってしまいました。
功太さんは元々、地元で有名な人物だったようです。
元気な3児の優しい父として。人生の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者として。夏祭りでは町内会を率先して盛り上げる、太陽のような存在として。
引用元:Yahooニュース
若くして地元の人々に愛される、人望が厚い人だったようですね。
また、父親の功太さん自身は野球の経験はないそうですが、スポーツ好きだったそうです。
子どもたちとは頻繁にキャッチボールをしていたようで、スポーツを通して親子間の絆も育まれていました。
家では、お父さんが毎日のようにキャッチャーをやって、朗希とお兄ちゃんが投げ込んでいたそうです。震災後の大変な時期でも野球を続けたのは、お父さんとの思い出もあるんじゃないかな
引用元:Yahoo!ニュース
功太さんが亡くなった当時、佐々木選手は9歳、末っ子の弟はまだ5歳でした。
3人の子どもの成長を見ることができず、本当に無念であったと思います。
佐々木選手にとってお父さんとの記憶が沢山つまった野球自体に、特別な思いがあるのではないでしょうか。
佐々木選手のこれからの活躍もずっと見守っていてほしいですね。
佐々木朗希の母親について
佐々木選手の母親・陽子さんは、保険営業マンだそうです。
地元の人によると、
子供の意志を尊重する放任主義だそうです。今も、保険の営業マンとして活躍されています。
引用元:yahoo!ニュース
というように、3人の子どもを育て、現在もバリバリと働いているようです。
引用元:スポニチ
利発そうで、とても素敵な方ですね。
佐々木選手は、中学時代にきた強豪校からのスカウトを断って、地元の高校に進学しました。
地元の仲間と共に甲子園を目指したかったからだそうですが、これは佐々木選手にとって人生に関わる大きな選択だったと思います。
佐々木選手のお母さんは、こうした子どもたちの決断を尊重し、見守ってきたことがわかります。
親であればつい助言をしたくなるものですが、信頼して任せることが子どもたちの自立心を育てたのかもしれません。
放任主義の陽子さんですが、子どもたちの活躍を心から応援しているようです。
佐々木選手のプロ初勝利のインタビューを見た際には、号泣したそうです。
「ウイニングボールをどうするのかと聞かれて「両親にプレゼントします」と言ってくれたことがうれしくて、号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのがうれしかったです。」
引用元:スポニチ
母子家庭で苦労も多かったでしょうが、ここまで3人の子どもたちを育て上げたお母さんはとても立派ですよね。
佐々木朗希の兄・弟は野球選手?
佐々木選手には、兄と弟がいます。
佐々木朗希の兄は野球選手ではない
(引用元:東海新報)
佐々木選手の兄・琉希さんは、野球選手ではありません。
しかし、高校までの学生時代は、野球をやっていたようです。
琉希さんは佐々木選手の3歳年上で、元々同じ少年野球のチームに所属していたそうです。
また、佐々木選手と同じ「岩手県立大船渡高校」で野球をやっており、4番のエースでした。
琉希さんはその後、東北学院大学を卒業し、東北学院大学の大学院に進学したそうです。
琉希さんは佐々木選手の野球人生に大きな影響をもたらした人でもあります。
お父さんが亡くなった後、琉希さんが佐々木選手のキャッチボールの相手をしていたそうなのです。
琉希さんについて、母親の陽子さんはこう話しています。
琉希がすごく弟の朗希に厳しく接していました。その反動で、朗希は常に兄を超えようとしていました。
引用元:日刊スポーツ
琉希さんは、私生活でも野球に関しても、弟の佐々木選手を褒めることはなかったそうです。
亡くなった父親の代わりをするため、厳しく接していたのかもしれません。
結果的に、負けず嫌いの性格から佐々木選手は猛練習をするようになり、自身の力にさらなる磨きがかかったようです。
佐々木朗希の弟について
引用元:サンスポ
佐々木選手の弟・怜希さんはも子どもの頃から野球をやってきました。
小学生の時は、岩手県の猪川野球クラブに所属していたそうです。
また、現在は兄2人と同じく大船渡高校に在学し、その後大学では中央大学硬式野球部に所属しています。
中大硬式野球部はこの日、2024年度スポーツ推薦入学試験に合格した16人を発表。178センチ右腕の佐々木怜も合格を果たした。
引用元:スポーツ報知
今後、プロの道に進むのか、野球とは別の道に進むのかはまだわかりませんが、今後の活躍が楽しみですね!