浅野忠信の父親は元芸能事務所社長!母親や兄弟についても調査!【家族構成図】

俳優として個性的な役柄を演じ、音楽家としても活躍している浅野忠信(あさのただのぶ)さん。

そんな浅野忠信さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。

この記事では浅野忠信さんの家族構成や両親について紹介していきます。

目次
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浅野忠信の家族構成図

浅野忠信は4人家族

浅野忠信さんは、4人家族です。

父親:佐藤幸久

母親:浅野順子

兄:佐藤久順

浅野忠信 本名:佐藤忠信

ご両親と兄弟2人という家族構成です。

浅野忠信さんは2人兄弟の次男なんですね。

ご両親は1994年から1995年ごろに離婚されており、そのとき母親は44歳でした。

また、母方の祖父はアメリカ合衆国ミネソタ州ウィノナ生まれの北欧系アメリカ人であり、浅野忠信さんはクォーターにあたります。

「僕はクォーター(祖父がアメリカ人)で、小さいころは金髪に近い髪色だったので、自分が日本人という意識があまりなかったんです。なので、俳優という仕事は抜きに、アメリカのおじいちゃんに会ってみたいという思いはありましたね」

引用元:シネマトゥデイ

浅野忠信の実家は神奈川県横浜市

画像引用元:時事ドットコム

浅野忠信さんは、神奈川県横浜市で育ちました。

幼い頃は、いつもニコニコと照れ笑いしながら歩いていたという、愛らしい男の子だったそうです。

母方の祖父は北欧系アメリカ人のため、浅野さん自身はクォーターにあたり、幼い頃は髪の色も金髪に近く、自分が「日本人」という意識はあまりなかったとのこと。

そのため子どもながらに、「日本人だけど、日本人になりきれていないような」微妙な違和感を抱えていたといいます。

両親は20代前半で子どもを授かり、まだ若く、自由奔放な暮らしをしていました。

夜になると、忠信さんと兄を家に残したまま、両親がディスコに出かけてしまうことも。

寂しくなった兄弟は、近所の家を訪ねて「お母さんがいない」と泣いてしまったこともあったそうです。

小学生の頃には、実家の隣にあった空手道場に兄と一緒に通い、やがてブレイクダンスやスケートボードにも夢中になります。

中学生になると、パンクロックに目覚め、地元・横浜の元町や本牧のライブハウスを仲間と共に巡りながら、バンド活動を始めたそうです。

そして、華がある子供だったようで、「子どもたちが何人かで写真を撮ると、なぜかいつも真ん中に写っていた」と母親が語るように、当時から光るものを持っていたことが伺えます。

そんな忠信さんの可能性にいち早く気づいたのが父親でした。

ある日、彼にドラマのオーディションを受けてみるよう勧め、1988年放送のドラマ『3年B組金八先生』(第3シリーズ)のオーディションに挑戦。

見事合格し、当初は本名の“佐藤忠信”名義で、俳優デビューを果たしました。

浅野忠信の父親はどんな人?

父親のプロフィールや顔画像は?

画像引用元:スポニチ

プロフィール

名前:佐藤幸久

年齢:76歳(推定)

職業:芸能事務所「アノレ」の元社長

覚せい剤取締役法違反の容疑で複数回逮捕されています。

父親の職業は芸能事務所「アノレ」の元社長

父親の職業は、芸能事務所「アノレ」の元社長です。

俳優・浅野忠信(44)の父親で芸能事務所「アノレ」の社長・佐藤幸久容疑者(68=東京都渋谷区)

引用元:日刊ゲンダイ

芸能事務所「アノレ」は、浅野忠信さんの元所属事務所です。

現在は、社名を「株式会社ADONIS A(アドニスエー)」へと変更しています。

父親のエピソード

忠信さんの中に光るものを感じ取り、役者という道をすすめたのは、お父様だったといいます。

几帳面な性格で知られていたお父様は、食事の際にはまず父親が食べ終えてから、子どもたちが食べるというルールを設けていたほど、家庭内では厳格な一面も持っていました。

そんなお父様は、かつて石倉三郎さんやポール牧さんのマネージャーを務めていた時期もありました。

マネージャーとして芸能の世界を見てきた経験から、息子・忠信さんの中にある才能をいち早く見抜いたのでしょう。

その目で見込んだ忠信さんに、テレビドラマのオーディションを受けるよう勧めたお父様。

結果、見事オーディションに合格し、忠信さんは俳優としての第一歩を踏み出すことになりました。

そんな父のまなざしと後押しがあったからこそ、今の浅野忠信さんがあるのかもしれません。

浅野忠信の母親はどんな人?

母親のプロフィールや顔画像は?

画像引用元:CREA

プロフィール

名前:浅野順子

年齢:75歳(推定)

職業:画家

出身:神奈川県横浜市

母親の職業は画家 

母親の職業は、画家です。

60歳を過ぎて出会った恋人に才能を見出され、画家デビューしたという特異な経歴を持つ。

引用元:CREA

60歳を過ぎてから独学で絵を描き始め、ギャラリーだけでなく、古着屋や花屋などさまざまな場所で作品を発表されているそうです。

画材やスタイルにとらわれず、自由な発想で創作活動を続けているとのこと。

画像引用元:yugengallery

母親のエピソード

現在のファッションセンスやパンクロックへの愛着も、実は破天荒なお母様の影響が大きいと言われています。

いまのファッションもパンクロックにハマったのも、ほとんど母親の影響です。

引用元:BuzzFeed

お母様は、日本人の母とアメリカ人の父の間に生まれたハーフです。

神奈川県内の私立高校に進学しましたが、やがて夜遊びに夢中になり、米兵たちが持ち込む最先端の音楽やファッションに深く親しむようになったそうです。

その影響は家庭にも色濃く表れ、浅野忠信さんの幼少期は、音楽にあふれた自由な空気の中で過ごしていたといいます。

ビキニ姿で公園で日光浴をしたり、ディスコでゴーゴーガールを務めたりと、お母さまは型破りで個性あふれる存在でした。

ゴーゴーガールとは、ディスコやナイトクラブなどでお立ち台の上で踊り、場の雰囲気を盛り上げる女性ダンサーのこと。

授業参観では、まわりのお母さんたちがスーツ姿で並ぶ中、へそ出しトップスにGパンで現れることもあったそうです。

ある日には真っ赤なスカジャンを羽織って小学校に現れ、忠信さんが「ママ、やめてよ!」と恥ずかしがったことも。

そんな自由奔放でまっすぐな母の姿が、今の浅野忠信さんの根底に流れる表現の原動力となっているのかもしれません。

浅野忠信の兄はどんな人?

兄のプロフィールや顔画像は?

画像引用元:OPENERS

プロフィール

名前:佐藤久順 芸名:KUJUN

生年月日:1971年11月14日

年齢:53歳

職業:音楽家、アーティスト

兄の職業は音楽家でアーティスト

兄の職業は、音楽家でありアーティストとしても活動しています。

俳優 浅野忠信氏の兄としても知られる音楽家でアーティストのKUJUN(クジュン)

引用元:OPENERS

自身のレーベル「wiowio sounds」をプロデュースし、ジャムバンド「ZERO」ではドラマーとして参加されています。

さらに、ドラマ『私立探偵 濱マイク』に俳優として出演したり、DJとしても活動するなど、ジャンルを超えてマルチな才能を発揮しています。

兄のエピソード

浅野忠信さんは、お兄さんのことをとても慕っており、絶対的な安心感と深い信頼を寄せているそうです。

幼少期、クォーターである忠信さんは、金髪だったことから「外人、外人」とからかわれ、いじめを受けることもあったといいます。

そんなとき、必ず助けに来てくれたのがでした。

「兄貴が出てきて『誰だ』って言ってかばってくれた。絶対的な安心感があった」と、兄への感謝を語っています。

忠信さんは、そんな大好きなお兄さんが「(ドラマなどに)出たい」と言い出した際には、ドラマやモデルの仕事を自ら手配したこともあるそうです。

浅野はKUJUNが大好きで、「出たい」と言ったため、ドラマやモデルの仕事を持ってきたという。

引用元:ライブドアニュース

現在も兄弟の仲は深く、兄の誕生日プレゼントに高級時計をプレゼントするなど、変わらぬ兄弟愛がうかがえます。

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