サッカー日本代表選手として活躍している、堂安律(どうあん りつ)さん。
そんな堂安律さんはどんな環境で生まれ育ったのか気になりますよね。
そこで今回は、堂安律さんの両親や兄弟について調査してみました。
堂安律の家族構成図
堂安律の家族構成
画像引用元:the WORLD
堂安律さんの家族構成は、両親と兄2人の5人家族です。
・父親
・母親
・長男:堂安麿(どうあん まろ)
・次男:堂安憂(どうあん ゆう)
・三男:堂安律(どうあん りつ)
堂安律さんは兵庫県尼崎市出身で、わずか5歳で兄達を追いかけてサッカーを始めるようになりました。
5歳だった律少年は8歳上の兄・麿(まろ)さんと3歳上の兄・憂(ゆう)さんを追いかけて、ボールを蹴り始めた。
引用元:サンスポ
さらに小学に上がってからは地元の少年サッカークラブに通いながら、別のサッカースクールにも通うほどのめり込んでいたといいます。
幼少期は兄達にほぼ負けていたものの、負けず嫌いを前面に押し出しながら繰り返し挑戦したことで、現在の姿に繋がっていることが明かされていました。
堂安律の兄は2人!兄はパン屋で勤務している?
パン屋の噂はデマ
続いて堂安律さんの兄について調査した結果、職業がパン屋であるという噂を発見。
しかし調査を進めると、職業がパン屋というのはデマであることが分かりました。
ではなぜこのような噂になったのかというと、同じく日本代表サッカー選手である浅野拓磨さんの兄弟がパン屋を経営していたことで、勘違いされてしまっていたようです。
そのため堂安律さんの兄がパン屋というのは、デマであることが分かりますね。
長兄は一般人
画像:イメージ画像
堂安律さんの1番上の兄は一般人であることが分かりました。
生年月日:1990年生まれ
年齢:34歳
堂安律さんの長兄の名前は堂安麿さんといいます。
そんな兄・麿さんは堂安律さんよりも8歳年上であり、大学まではサッカークラブでプレーしていたという情報がありました。
また、現在は一般人であるため詳しくは明かされていませんが、一部では会社員として働いていると囁かれています。
次兄は元サッカー選手
画像引用元:週刊女性PRIME
堂安律さんの2番目の兄は元サッカー選手であることが分かりました。
生年月日:1995年12月14日
年齢:28歳
身長:169cm
体重:64kg
職業:元サッカー選手
堂安律さんの次兄の名前は、堂安憂さんです。
そんな兄・憂さんは元AC長野パルセイロ所属のプロサッカー選手として活躍していましたが、2021年に現役を引退しています。
AC長野パルセイロは4日、MF堂安憂(23)、FW津田知宏(33)との契約満了を発表した。
引用元:超ワールドサッカー!
また、引退後の現在は地元の兵庫県尼崎市でサッカースクールを経営しており、日々生徒に指導していることが分かりました。
堂安律の父親と母親はどんな人?
父親は会社経営者
画像引用元:週刊女性PRIME
堂安律さんの父親は会社経営者であることが分かりました。
生年月日:非公表
年齢:非公表
堂安律さんの父親の名前は、堂安哲也さんです。
そんな父・哲也さんは一般人であるため名前以外のプロフィールについては明かされていませんでしたが、複数の会社を経営していることが分かりました。
・有限会社堂安工業
株式会社浦和機工では取締役のうちの1人として名を連ね、有限会社堂安工業では代表取締役となっています。
2社とも事業内容が管工事業としていること、そして株式会社浦和機工が堂安律さんの母方の祖父が経営している会社であるということから、有限会社堂安工業は系列会社として新しく立ち上げたのかもしれませんね。
母親は介護施設経営者
画像引用元:文春オンライン
堂安律さんの母親は介護施設を運営していたことが分かりました。
生年月日:非公表
年齢:非公表
堂安律さんの母親の名前は、堂安美幸さんです。
そんな母親も父・哲也さんと同様にプロフィールは明かされていませんが、職業は元介護施設の経営者であることが判明しました。
「彼のお母さんは地元で介護施設を運営していたんです。律はそんなお母さんが大好きで、とても尊敬しています。
お母さんの話を始めたら止まらないくらいで、マザコンかなって思うほど(笑)」(前出・友人)
母は介護の仕事をしながら、父が経営する会社も手伝い、さらに堂安選手が小学生のころには、西宮のサッカークラブまで車で送迎し続けた。
引用元:女性自身
母・美幸さんは営利法人合同株式会社愛幸という会社を経営。
さらに会社に関連して『ケアセンター青い鳥』という施設が出てきたことから、母・美幸さんはこの施設で介護のサービスを提供していたのではないかと考えられます。
また、介護の仕事に加えて父・哲也さんが経営する会社の手伝いもしていたとのこと。
2019年には引退して現在は専業主婦として過ごしているそうですが、3人もの子供を育てながらの会社運営ということで、とても多忙だった様子が伺えますね。