現在はスコティッシュ・プレミアリーグで活躍している古橋亨梧(ふるはし きょうご)さん。
そんな古橋亨梧さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。
この記事では古橋亨梧さんの家族構成や両親について紹介していきます。
古橋亨梧の家族構成図
古橋亨梧は4人家族
古橋亨梧さんは、4人家族です。
父親
母親:古橋 美和
長男:古橋 亨梧(古橋 匡梧)
次男
ご両親と兄弟2人という家族構成です。
古橋亨梧さんは2人兄弟の長男なんですね。
古橋亨梧の実家は奈良県
画像引用元:JFA
古橋亨梧さんは、奈良県生駒市で育ちました。
幼少期は祖父母のいる広島県で過ごすこともあったそう。
そんな幼少期は身体が弱かったそうですが、小学生の頃に地元のフットボールクラブ(桜が丘FC)に所属し、そこから古橋さんのサッカー人生が始まりました。
高校生までは全国的に無名な存在でしたが、大学に入ってから徐々に頭角を現してきました。
なお、古橋さんはプロ選手になった際に本名の「匡梧」から「享梧」へ改名しています。
プロ選手になるにあたり知人に占ってもらった結果だそうです。
なんでも、
「”亨”は片足1本でもたっていられる」
とのことで、現在の「亨梧」にて登録をしたそうです。
プロ入りの強い気持ちが感じられますね。
古橋亨梧の父親はどんな人?
父親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
残念ながら、父親についての情報はありませんでした。
古橋さんが幼少期に祖父母や親戚に預けられてたこともあり、お仕事がお忙しい方なのが推測されます。
やりたい事の為に進んだ進路も応援してくれていることから、一番のファンであることは間違いないでしょうね。
古橋亨梧の母親はどんな人?
母親のプロフィールや顔画像は?
画像引用元:毎日新聞
名前:古橋 美和
母親についても詳細情報がほとんどありません。
2023年に古橋さんとのインタビュー記事が出て、当時の年齢から29歳の時に古橋さんをご出産されたことが分かりました。
母親のエピソード:母の一言
現在の古橋さんがあるのは母親のおかげ、と思わせるエピソードがあります。
高校時代にプロへの憧れを持ち、大学進学もプロになった後を見据え、親元を離れ一人で生活をして行けるようにと東京の大学へ進学を決めた古橋さん。
大学では寮生活で親のありがたみを感じながら、見事、1年生の頃から試合に起用。
全日本大学選抜にも選ばれるなど着実にプロに向かって経験を積んでいく中、チームは古橋さん自身は2部へ降格、古橋さん自身も負傷と復帰を繰り返す日々に悩まされていました。
周囲は続々とプロへの内定を勝ち取っていくなか、大学4年の12月になってもJクラブから声がかかることはなく、いくつかのJ2クラブの練習に参加しながらも内定に繋がるものはなく卒業だけが近づいてきます。焦りとストレスなのか、Jクラブの練習参加のたびに吐き戻していたそうです。
そんな状態の古橋さんは母親にサッカーを「諦めようかと思う」と連絡をします。
その言葉を聞いた母親は、宥めるでも励ますでもなく「やめたいなら、やめればいい」と、意外な返答でした。
「結構心に刺さりましたね。何やってんねんやろ、って思った。ここまでお金とか出してくれて、大学も行かせてもらって好きにサッカーをやらしてもらっていたので。逆に気持ちを強く持たせてくれた」
引用元:FOOTBALL ZOME
厳しくもあり温かい母の言葉を、古橋さんは当時のことをこう振り返っています。
母親の言葉を受け、最後まで踏ん張ろうとJクラブへの練習参加を続けたところ、ついにFC岐阜からオファーがあり、受けることになりました。
やっと切り開かれたプロへの道も、母親のかけた言葉がなかったら実現しなかったかもしれませんね。
古橋亨梧の弟はどんな人?
弟のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
インタビューにて1歳差の弟がいることが分かりました。
しかし、弟についてのそれ以上の情報はありませんでした。
物心がつく前のことはあまり覚えていないけど、生まれてしばらくは、いろんな人にお世話になったそうです。弟が生まれる時も広島の叔母が1歳の僕を預かってくれました。
引用元:REIBOLA
サッカーをやっている古橋さんの姿を見て、弟もサッカーをやっていたかもしれませんね。