埼玉西武ライオンズで活躍している源田壮亮(げんだそうすけ)さん。
そんな源田壮亮さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。
この記事では源田壮亮さんの家族構成や両親について紹介していきます。
源田壮亮の家族構成図
源田壮亮は4人家族
源田壮亮さんは、4人家族です。
父親:源田光明
母親:源田靖子
兄
源田壮亮
ご両親と兄弟1人という家族構成です。
源田壮亮さんは2人兄弟の末っ子なんですね。
源田壮亮の実家は大分県大分市
画像引用元:news.ntv
源田壮亮さんは、大分県大分市で育ちました。
小学生時代は近所に野球チームがなくソフトボール、中学生から硬式野球を始めた源田選手。
最初は戸惑いがありながらも高校進学では強豪校である大分県立大分商業高校に進学しました。
高校では大分大会決勝が最高で甲子園出場経験はありませんでしたが、本人はそのことについて肯定的に捉えているようです。
源田壮亮さんは、高校入学時に身長が158センチと小柄だったので、この先野球を続けていくのは難しいと思い、2年生の冬までは就職を考えていました。
しかし、高校2年生の冬から3年生の春先まででぐんと伸びたのだそうです。
高校卒業後は愛知学院大学を経てトヨタ自動車に入社し、その後埼玉西武ライオンズに入団しています。
源田壮亮の父親はどんな人?
父親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
名前:源田光明
生年月日:1952年?
年齢:73歳(推定)
源田光明さんについての情報はほとんど公表されていません。
父親の職業は大分製鉄所の職員
父親の職業は、大分製鉄所の職員です。
安全環境防災部安全健康室という部署に勤めており、職員が安全に業務を行うための監督を行う業務をしているようです。
こう話すのは父の光明さん(64)。大分製鉄所の安全環境防災部安全健康室に勤務している。
引用元:日刊ゲンダイ
製鉄所での業務では重要なお仕事ですね。
年齢的に現在は退職されている可能性もあります。
父親のエピソード
源田壮亮さんの父、源田光明さんも野球が好きな方で、野球に興味を持った一因は父親であるみたいです。
最初はサッカーが好きだったようですが、父親の少し強引な後押しがあり気が付けば野球人生をスタートさせていたようです。
源田壮亮さんは、野球に関して父親から指導されることはなくのびのびと野球ができたとおっしゃっています。
親が厳しくなりすぎてしまうと、子どもは大変ですし、長く続けるためには楽しさを失わない方がいいので理解のある父親のようです。
源田壮亮の母親はどんな人?
母親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
名前:源田靖子
生年月日:1958年?
年齢:67歳
母親は専業主婦?
母親の職業についての情報は見つかりませんでした。
母親のエピソード
母親は、源田壮亮さんのメンタルサポーターのような働きをしていたようです。
源田壮亮さんは小学生の頃野球チームが近所になかったのでソフトボールのチームに所属していました。
小学校6年生の時、源田壮亮さんがキャプテンを務めるチームはなかなか勝ち星をつかむことができず悩んでいました。
そんな時に母親の靖子さんは『あんたがメソメソしてどうするの!』と励ましていたようです。
そんな時は靖子さんの出番だ。
「そんな時は試合前に『あんたがメソメソしてどうするの!』とベンチ裏でどやしつけていました。引用元:ヤキュイク
また、母親は家庭内で明るい雰囲気を作ることを心がけており、家族全員がリラックスできる環境作りにも取り組んでいたようです。

源田壮亮の兄はどんな人?
兄のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
生年月日:1991年?
年齢:34歳(推定)
兄のエピソード
源田壮亮さんと兄は、小学校で一緒にソフトボールを始めました。
源田は小学校3年生の時、2歳上の兄と共に明野西小学校でソフトボールを始めた。
引用元:日刊ゲンダイ
兄からは野球の技術や、チームプレイの重要さについて教わったそうです。
また、兄だけでなく兄の同級生が練習の相手をしてくれていたこともわかりました。
同じチームでプレーしている兄の同級生が相手をしてくれたことが、下級生の源田選手にとっては上達の近道になったのかもしれない。
引用元:ヤキュイク
兄と同じチームで活躍した経験が、今の源田選手の野球人生に大きく影響をしているようですね。