"天才卓球少女"や"泣き虫愛ちゃん"など親しみのある愛称で呼ばれ、ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪では2大会連続で女子団体をメダル獲得へと導いた福原愛(ふくはらあい)さん。
そんな福原愛さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。
この記事では福原愛さんの家族構成や両親について紹介していきます。
福原愛の家族構成図
福原愛は4人家族
福原愛さんは、4人家族です。
父親:福原武彦
母親:福原千代
兄:福原秀行
福原愛
ご両親と兄弟2人という家族構成です。
福原愛さんは2人兄弟の末っ子なんですね。
福原愛の実家は宮城県
画像引用元:文春オンライン
福原愛さんは、宮城県仙台市で育ちました。
出身は宮城県ですが、10歳の時に大阪府八尾市に引っ越しました。
母親と兄の影響で3歳から卓球を始めた福原愛さん。
毎日4時間~8時間欠かさず練習し、強豪の卓球クラブで練習するために週末は栃木県まで出向いていたそうです。その努力の甲斐もあって大会で優勝するなど、メキメキと才能を発揮し始め"天才卓球少女"としてメディアに取り上げられるようになりました。
小さな体で大きな卓球台を前に泣きながらも必死にプレイする姿に、心打たれる視聴者も多かったのではないでしょうか。
小学4年生で「ミキハウス」と専属契約し、プロ卓球選手としての道を歩み始めました。
そんな福原愛さんがオリンピックを意識し始めたのが7歳で訪れたアトランタ五輪の卓球会場だったそうです。
「実際に試合の応援をして、そこで初めて、“オリンピックってこういう場所なんだ”と…
7歳なのですごく漠然とした夢でしたが、“いつかここで試合がしたいな”って思うことができて、いい経験をさせていただいたんです」引用元:日本オリンピアンズ協会
福原愛の父親はどんな人?
父親のプロフィールや顔画像は?
画像引用元:デイリー
名前:福原武彦
生年月日:1942年
年齢:享年71歳(2013年10月6日逝去)
職業:会社経営
出身:秋田県大仙市
父親の職業は会社経営者
父親の職業は、会社経営です。
1990年から宮城県仙台市で不動産会社を営んでいました。
しかし、その後会社の経営が傾き2004年に3億5千万円の負債を抱え倒産してしまいました。
父親のエピソード
福原愛さんのお父さんは意外にも卓球についての知識は無かったようです。
しかし、福原愛さんが試合で負けたり指導方針が合わないとコーチや環境を頻繁に変えていたそうで、そういった強引な指導方法に福原愛さんは不満を抱いていたようです。
2008年を最後にお父さんとは連絡を絶ちました。
武彦氏は08年ごろまで福原のマネジメントを担当していた。書面で、福原は「08年の終わりごろを最後に、一度も会っていない状態にありました。
以降は電話やメールでのやりとりも、一度もない関係となりました」と、近年は絶縁状態になっていたことを明らかにした。
引用元:デイリー
会社の経営が上手くいかなくなり、福原愛さんの収入が家計を支えるようになるとその収入もお父さんの借金に充てられたりといった金銭トラブルも絶縁の要因だったと言われています。
2013年10月に膵臓がんで亡くなるまで会うことはなかったようです。
福原愛の母親はどんな人?
母親のプロフィールや顔画像は?
画像引用元:KODAMA国際教育財団
名前:福原千代
生年月日:1950年3月4日
年齢:74歳
出身:宮城県登米市
母親は卓球指導者
母親の職業については明確な情報はありませんでしたが、お母さんは卓球経験者ということもあり、幼い頃からの卓球指導はお母さんが行っていたようです。
福原愛選手を幼少期から指導し、輝かしい活躍を長年に亘り支え、日本卓球界の躍進に貢献している。
引用元:KODAMA国際教育財団
母親のエピソード
福原愛さんが卓球を始めたのは、先に卓球を習っていた兄に付きっきりのお母さんに構ってもらうためだったそうです。
福原愛さんが才能を発揮し始めたことで、お母さんは愛さんに熱血指導をするようになりました。
愛さんは幼い頃お母さんに甘えられず、常にコーチと選手のような関係だったそうです。
「幼稚園児の頃から毎晩、自宅の練習場で1000本ラリーをしていたのが福原親子でした。998本までラリーが続いても999本目でミスをすればゼロからもう一度スタートなんですよ。
それができるまで寝ることは許されなかったなど、当時はスパルタのように感じるほど懸命に練習する姿は、競技関係者や保護者らに、早期教育の重要性を気づかせるきっかけになっているんです」
引用元:週刊女性PRIME
福原愛の兄はどんな人?
兄のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
名前:福原秀行
生年月日:1978年
年齢:47歳
職業:マネジメント会社経営
学歴:日本大学
兄の職業はマネジメント会社経営者
2008年に母親の千代さんと兄の秀行さんが「千秀企画」というマネジメント会社を立ち上げました。
「千秀企画は福原さんより10歳年上のお兄さんが代表取締役を務めていました。’04年に福原さんの両親が離婚した後、母・千代さんとお兄さんが一緒に設立した会社で、二人の名前から一文字ずつ取ったのが社名の由来だそうです」(スポーツ紙記者)
引用元:女性自身
福原愛さんをマネジメントするために始めた会社と思われますが、2023年5月で解散したようです。
兄のエピソード
福原愛さんの初めての出場となったアテネ五輪では16強で終わってしまいましたが、兄についてこんな思いを語っていました。
「お兄ちゃんを見て涙が出ました。お兄ちゃんは名古屋まで行って、お守りを買ってきてくれたんです。お兄ちゃんのためにも、もう一度勝ちたかった……」(本誌’04年9月7日号)
引用元:dmenuニュース
福原愛さんのためにマネジメント会社を立ち上げるくらいですから、兄弟の絆の強さを感じますね。