百田尚樹の父親は大阪市水道局職員!母親や兄弟についても調査!【家族構成図】

放送作家として『探偵ナイトスクープ』等の番組構成を手掛け、『永遠の0』で作家デビューし、政治的発言でも有名な百田尚樹(ひゃくたなおき)さん。

そんな百田尚樹さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。

この記事では百田尚樹さんの家族構成や両親について紹介していきます。

目次
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百田尚樹の家族構成図

百田尚樹は4人家族

百田尚樹さんは、4人家族です。

父親

母親

百田尚樹

ご両親と兄妹2人という家族構成です。

百田尚樹さんは2人兄妹の長男なんですね。

百田尚樹の実家は大阪府大阪市東淀川区

画像引用元:デイリー新潮

百田尚樹さんは、大阪府大阪市東淀川区で育ちました。

幼少期はおしゃべり好きで、遊ぶことが大好きな性格だったそうです。

朝から晩まで外で駆け回って遊んでいたため、日が落ちるのが嫌だったと言います。

野球をしていると、暗くなるとボールが見えなくなり、仕方なく帰る時には寂しさを感じていたそうです。

この寂しさは今でも変わらず、外にいて暗くなるとあの頃の気持ちが蘇ってくると言います。

学校での勉強は得意ではなく、作文も苦手で、書いた文章を褒められたことは一度もなく、遊びのことばかり考えて先生に怒られる日々が続きました。

お父様が本好きで家にはたくさんの本がありましたが、百田さんは幼少期には絵本を読み、小学生の頃は、主に漫画を読んでいたそうです。

高校時代は、奈良県に引っ越した後、県内でトップを争うほどの成績が悪い高校に通ったそうです。

成績表はほとんど2ばかりで、卒業後に学校の方針で「1」をつけないことを知り、実際の成績は1だったといいます。

高校では勉強も読書もしなかったものの、映画が好きで、アルバイトで得たお金で映画館に通っていたそうです。

同志社大学法学部に進学後、ボクシング部に入部し、楽しくて毎日練習していたといいます。

さらに、在学中に『ラブアタック!』というテレビ番組に出演し、爆笑を誘い、伝説的な存在になったとのこと。

『ラブアタック!』とは?
1975年から関西ローカル、1977年から1984年までテレビ朝日系列で放送されていた恋愛バラエティ番組。
司会:横山ノック・上岡龍太郎・和田アキ子

 

『ラブアタック!』出演時の百田尚樹さん
画像引用元:X

5年目に大学を中退し、退学後はテレビディレクターやプロデューサーに「面白いから放送作家をやらないか」と誘われ、放送作家の道を歩み始めました。

百田尚樹の父親はどんな人?

父親のプロフィールや顔画像は?

画像:イメージ画像

プロフィール

生年月日:1924年

職業:大阪市水道局職員

出身:大阪府大阪市東淀川区

学歴:夜間中学卒

父親はすでに亡くなられており、詳細な時期は不明ですが、百田尚樹さんが50歳で作家デビューを果たした頃、お父様は末期がんで闘病中だったと言われています。

父親の職業は大阪市水道局職員

父親の職業は、大阪市水道局職員です。

うちのオヤジは大阪市水道局の職員でした。

引用元:PHPオンラインWEBVoice

漏水課に所属しており、水漏れを起こす管の修理をしていたそうです。

街を一日中歩き回り、水道管が破れている場所を探しては修理を行う、非常に大変な仕事だったとのことです。

父親のエピソード

お父様は、非常に本好きで、家の中は本で溢れていたといいます。

お母様が、結婚当初、貧乏な家に嫁いだと思っていたものの、家に本が山のようにあったことに驚き、「万引きしたんじゃないか?」と思ったほどだそうです。

お父様は、自分が本を愛していたため、百田さんにも本好きになってほしいと考え、小学校低学年の頃には岩波書店の少年少女文学全集を与え、全巻読破を命じられました。

なかなか本に興味を示さなかった百田尚樹さんに対して、お父様はある夏休み、「いい加減、本を読め」とドストエフスキーの『罪と罰』を手渡しました。

命令される形で、ひと夏かけて読もうと挑戦したものの、結局最後まで読み切ることはできなかったそうです。

大人向けの本は字が小さく、上下二段組で、読んでも読んでも進まず、1ページ読むのにも四苦八苦し、ページをめくっては「今日はもう無理だ」と思っていたといいます。

その経験がきっかけで、本に対して強烈なアレルギーを感じるようになった時期もあったそうです。

もしかすると、お父様には「共通の趣味を持ち、語り合いたい」という思いもあったのかもしれませんね。

百田尚樹の母親はどんな人?

母親のプロフィールや顔画像は?

画像:イメージ画像

プロフィール

生年月日:1926年

年齢:享年98歳

母親の職業は不明

母親の職業は、一般の方のため、公にされていません。

母親のエピソード

百田尚樹さんのお母様は、信仰心が強く、子ども思いで優しい方だったそうです。

戦後の混乱期、貧しい生活の中で二人の兄妹を育て上げました。

プロテスタント信者として奉仕活動も活発に行っていたそうです。

筆まめな方でもあり、百田さんが政党を作ると発言した際には、心配と愛情があふれる手紙を贈ったと言います。

気丈な方で、2024年末に体調が悪化して緊急入院されるまで、一人暮らしを続けていたとのことです。

2025年1月27日、百田尚樹さんは「本日、1月27日、1時51分に母が永眠しました。享年98歳でした」と母の死去を報告し、感謝の言葉を綴りました。

「10代の青春時代を戦争で過ごし、戦後の悲惨な時代に20代を生き、30代を貧乏暮らしの中で私たち兄妹を育ててくれました。母ちゃん、ほんまにありがとう」と感謝を伝えた。

引用元:スポニチ

若いころはお母様に迷惑ばかりかけて、よく泣かせてしまっていたそうですが、晩年にはいい子を持った」と言ってくれたそうです。

お母様にとって、いくつになっても息子は守るべき大切な存在だったことが伝わってきます。

百田尚樹の妹はどんな人?

妹のプロフィールや顔画像は?

画像:イメージ画像

妹のエピソード

百田尚樹さんは妹さんとの関係が良好で、姪の結婚式にも出席するなど、交流が続いているようです。

今日は姪の結婚式および披露宴に出席。最後、花嫁が母に向けて手紙を読むところで、花嫁の母(私の妹)が泣きだした。

引用元:百田尚樹 (@hyakutanaoki) June 19, 2011 ※アカウントは削除済み

X(旧Twitter)では妹さんについて時折言及していたこともありましたが、現在は個人アカウントを削除され、日本保守党代表としての公式アカウントのみが残っています。

昭和39年の東京オリンピックの開会式では、鳩が一斉に飛び立つのをテレビで見ていた幼稚園の妹さんが「鳩を見に行く!」と庭に飛び出し、家族がその様子を見て笑ったことを今でも覚えているそうです。

また、お母様が亡くなった際には、実家にお母様を連れて帰り、妹さんと一緒に川の字になって寝たといいます。

きっと兄妹二人で、お母様の一人暮らしを支えあっていたのでしょうね。

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