お笑いタレントとして活動し、現在では世界の北野と呼ばれるほど映画の名監督となったビートたけしさん。
そんなビートたけしさんですが、これまでにどんな環境で生まれ育ったのか気になる人も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、ビートたけしさんの家族についてや、兄が東大出身という噂について調査していきます。
ビートたけしの家族構成
ビートたけしの家族構成
画像引用元:クランクイン!
ビートたけしさんの家族構成は、両親と5人兄弟の7人家族です。
父親:北野菊次郎
母親:北野さき
長男:北野重一
次男:北野勝
長女:北野安子
三男:北野大(きたの まさる)
四男:ビートたけし(北野武)
ビートたけしさんは1947年1月18日、東京都足立区島根に誕生しました。
そんなビートたけしさんは北野家の四男として生まれたものの、次男である勝さんがわずか10歳で病死したことから、実質は三男として育ったといいます。
また、次男・勝さんが急逝したことから、ビートたけしさんには『竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい』という願いが込められ、武と名付けられたそうです。
ビートたけしの父親と母親はどんな人?
父親は塗装職人
画像引用元:Gooブログ
次にビートたけしさんの父親について調べたところ、塗装職人であることが分かりました。
生年月日:1899年生まれ
没年月日:1979年9月12日(80歳没)
職業:塗装職人
ビートたけしさんの父親の名前は、北野菊次郎さんです。
そんな父・菊次郎さんは元々漆塗り職人として日々生計を立ててたものの、人柄が良すぎるあまりに飲み屋で誰にでも奢ることが多かったことから、かなりの浪費家だったといいます。
また、ビートたけしさんの母・さきさんが営んでいた洋装店もつぶしてしまったそうで、その後は一家で夜逃げした後塗装職人として働くこととなりました。
1971年には脳梗塞で倒れたことが災いし、8年後の1979年9月12日に永眠しています。
母親は洋装店の経営者
画像引用元:三桂
続いてビートたけしさんの母親について調査した結果、元洋装店の経営者として活躍していたことが分かりました。
生年月日:1904年生まれ
没年月日:1999年8月(95歳没)
職業:元洋装店経営者
ビートたけしさんの母親の名前は、北野さきさんです。
そんな母・さきさんは元々洋装店を営んでいたものの、夫である菊次郎さんの浪費から店を畳むことに。
そして夜逃げした後は菊次郎さんの収入があてにならないことから、自身で造花を作ったりおもちゃの組み立てなどの内職をしていたそうです。
子どものころは貧乏だった。ペンキ屋だった親父の稼ぎが少ないので、母ちゃんが造花をつくったり、ラインのおもちゃにゼンマイを仕込んだり、内職をしていた。
引用元:Fujisan.co.jp
また、子供達へは非常に教育熱心だったそうとのこと。
そのため貧しい環境だったことからしっかりと勉強をして良い職に就けるようにと、一生懸命働いて大学までの学費を出してくれたことを明かしていました。
『貧乏は循環する』という考えだったからこそ、子供達には将来的に貧しい思いをしてほしくないと考え、かなり頑張っていたことが伺えますね。
そんな母・さきさんは3人の息子を見事大学まで進学させ、1999年に95歳でこの世を去りました。
ビートたけしの兄弟は何人?兄は東大出身の噂は本当?
兄弟は4人
画像引用元:足立区
画像:北野武(左)、北野重一(左から2番目)、北野大(右から2番目)、北野さき(左)
ビートたけしさんの兄弟について調査した結果、5人兄弟であることが分かりました。
長男:北野重一
次男:北野勝
長女:北野安子
三男:北野大
四男:北野武
ビートたけしさんは北野家の中でも末っ子として生まれていますが、実は長男である重一さんとはなんと18歳差だったとのこと。
そんな兄・重一さんはエンジニアとして活躍した後に宇野製作所の取締役も務めたものの、2012年に亡くなっています。
また、11歳上である姉・安子さんは兄弟のために自身は大学に進学せず、結婚後には軽井沢でペンションを経営していることが分かりました。
そして三男である兄・大さんは名門大学の元教授や名誉教授として知られるほか、タレントとしても活動していることから、テレビで見かける機会が多いですね。
東大出身はデマ
5人兄弟であることが分かったビートたけしさんでしたが、実は兄が東大出身であるという噂を発見。
そこで調査をした結果、東大出身であるという噂はデマであることが分かりました。
ビートたけしさんの長兄である重一さんは東京工業専門学校へ、三男である大さんは明治大学工学部へと進学したことから、東大には通っていないことが分かります。
ビートたけしさんによると、三男である大さんは『東大に入れる語学力があった』と語っていることから相当頭が良いことが予想できますが、実際は明治大学へと進んでいたのですね。