宮沢りえの父親は船乗り?母親や兄弟についても調査!【家族構成図】

モデルとしてデビュー後、歌手や女優として長年活躍されている宮沢りえ(みやざわりえ)さん。

そんな宮沢りえさんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。

この記事では宮沢りえさんの家族構成や両親について紹介していきます。

目次
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宮沢りえの家族構成図

宮沢りえは4人家族

宮沢りえさんは、4人家族です。

(実父)

義父:小沢典仁

母親:宮沢光子

宮沢りえ

異父弟

ご両親と兄弟2人という家族構成です。

宮沢りえさんは2人兄弟の長女なんですね。

宮沢りえの実家は東京都

宮沢りえ、作品にかける想い語る 原動力は「心が揺さぶられるお芝居をしたい気持ち」
画像引用元:WEBザテレビジョン

宮沢りえさんは、東京都練馬区で育ちました。

日本人の母とオランダ人の父親をもつハーフです。

子どもの頃は、男の子に間違われることも多かったそうですが、11歳でモデルデビューしています。

幼少期は、素直でユーモアのある性格でした。

芸能生活ではモデルだけでなく、歌手や女優業でも活躍しています。

1987年には母親と一緒に個人事務所を設立しています。

宮沢りえの実父はどんな人?

実父のプロフィールや顔画像は?

画像:イメージ画像

プロフィール

名前:不明

生年月日:不明

職業:船乗り

実父の職業は船乗り

実父の職業は船乗りです。

光子さんは留学目的で渡欧した船中で船乗りだったオランダ人と知り合って結婚。73年にりえが誕生したが、生後4カ月で破局。

引用元:日刊ゲンダイ

実父と母親が破局した後、宮沢りえさんは小学4年生まで母親の姉夫婦にあずけられていたそうです。

実父のエピソード

実の父親の顔を知らずに育った宮沢りえさんですが、自身のルーツについてはあまり気にならなかったようです。

母親は父親について、素敵なラブストーリーを話してくれていました。

「子どもなので、別れる理由とか具体的なことは聞かなかったけれど、とても素敵なラブストーリーを話してくれていたし、それ以上知ろうとはしなかったんですね。自分に半分流れている血を持つ人に会ってみたいという気持ちは、もっと後になって、30過ぎたぐらいからあったかなと思いますけど」

引用元:Yahoo!ニュース

実父に会ってみたいと考える余裕もないほど、若いころから仕事が忙しかったのではないかとも思えます。

宮沢りえの義父はどんな人?

義父のプロフィールや顔画像は?

画像:イメージ画像

プロフィール

名前:小沢典仁

生年月日:1944年

年齢:81歳(推定)

義父の職業はピアニスト

義父の職業は、ピアニストでした。

義理父親である小沢さんと母親の光子さんの出会いは、同じ職場であることが分かりました。

小沢氏と光子さんの出会いは1974年ごろ。オランダ人男性と結婚してりえを出産した光子さんは、離婚してモデルやダンサーの仕事をしながら銀座のクラブでも働いていた。小沢氏はピアニストとして、同じ店で演奏していた。

引用元:スマートフラッシュ

そこで光子さんに一目惚れをしたようです。

2年の交際を経て、2人は1976年1月に結婚しています。

その後、1977年に弟が生まれましたが、その後4カ月で結婚生活は破綻しました。

宮沢りえさんと弟は父親が違うことになります。

父親のエピソード

宮沢りえさんが3歳の頃に、義理父のことを「パパ」と呼んだそうです。

しかし、何かあるとすぐに母親の所に行っていました。

すぐに離婚をしてしまい、その後は弟や義父には会っていないようです。

そのため義父が、弟に会ってほしいという手紙を書いたこともあります。

2010年ごろに小沢氏は、聡さんとりえの再会を実現するため、池袋の芸術劇場で公演していたりえに手紙を書いた。

引用元:スマートフラッシュ

宮沢りえの母親はどんな人?

母親のプロフィールや顔画像は?

宮沢りえの母・光子さん死去…“一卵性母娘”の呪縛と壮絶秘話|日刊ゲンダイDIGITAL
画像:左:宮沢光子 右:宮沢りえ
画像引用元:日刊ゲンダイ

プロフィール

名前:宮沢光子

年齢:享年65歳

身長:166センチ

職業:エム・ツー企画の代表取締役

出身:東京都

母親の職業はエム・ツー企画の代表取締役

母親の職業は、エム・ツー企画の代表取締役です。

宮沢りえさんの所属している事務所で、幼い頃からマネージャ業も任されていました。

周りからは「りえママ」とも呼ばれ、ステージママとしても有名です。

以下のような話題作りに辣腕を振るわれました。

ふんどしルックカレンダー(16歳)
ヘアヌード写真集「Santa Fe」(18歳)
貴花田との婚約発表・婚約解消(19歳)
大物芸能人との交友関係など

母親のエピソード

宮沢りえさんは、母親のことを「もっとも敬愛する人」と語っています。

大変仲が良かったことから、“一卵性”母娘とも言われていました。

母親は、2014年に肝腫瘍で亡くなっています。

その際に、以下のようなコメントを出されていました。

りえは、所属事務所を通じて、「最期に、生きるということの美しさと、すさまじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」とコメントした。

引用元:日刊スポーツ

お二人の長年にわたる信頼関係が伝わってくる内容です。

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宮沢りえの異父弟はどんな人?

異父弟のプロフィールや顔画像は?

画像:イメージ画像

プロフィール

生年月日:1977年

年齢:48歳(推定)

弟のエピソード

宮沢りえさんと弟は父親が違います。

3歳の頃に弟が生まれ、初めての兄弟となりました。

弟が出来た時はとても嬉しがっていたようで、よく抱っこもしていたようです。

しかし、両親が離婚して一緒に暮らすことはなくなりました。

弟は義父に引き取られ、宮沢えりさんは母親に引き取られています。

弟は宮沢りえさんと母親の存在を中学生になるまで知らなかったそうです。

姉と母のことを知るのは、中学生のころだった。

引用元;スマートフラッシュ

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