お笑いコンビ「爆笑問題」のボケを担当し、政治や社会問題をテーマにした独自のスタイルで有名な太田光(おおたひかり)さん。
この記事では太田光さんの奥さんや子供について詳しく紹介していきます。
太田光の家族構成図
太田光は2人家族
太田光さんは、2人家族です。
太田光
妻:太田光代
妻と2人という家族構成なんですね。
太田光の嫁は芸能事務所社長
嫁のプロフィールや顔画像は?
画像引用元:storyweb
太田光さんの奥さんは芸能事務所社長です。
名前:太田光代
生年月日:1964年7月6日
年齢:60歳
身長:159cm
職業:芸能事務所・タイタン代表取締役社長
出身:東京都世田谷区
学歴:都内の私立高校卒業
嫁の職業は芸能事務所社長
嫁の職業は、太田光さんの所属芸能事務所「タイタン」の社長です。
私がタイタンを立ち上げたのは、もうすぐ28歳になるという頃だったと思います。「太田光代が経営する個人事務所」と認識していただくことが多いのですが、私としては、爆笑問題を中心にいろんなことにチャレンジする、いわば「爆笑問題カンパニー」という感覚で立ち上げました。
引用元:B-plus
もともと光代さんは、モデルとしてキャンペーンガールやグラビアの仕事をしていたそうです。
バラエティ番組「アッコおまかせ」の初代アシスタントを務めていたこともあったとか。
23歳のときに、テレビ番組のコンテストに、ものまねで出場したことがきっかけで太田プロの関係者にスカウトされ、所属することになったようです。
そのとき、芸人として同期だったのが「爆笑問題」です。
その後、太田さんは光代さんとの結婚直前に、太田プロを退社してしまいます。
事務所の方針と太田さんの考えが合わず、思うように仕事ができずに違和感を抱いていたようです。
そんなときに、マネージャーから持ちかけられた独立の話を深く考えずに受け入れてしまったそうです。
独立後、なかなか仕事のオファーが来ない生活が2年ほど続き、光代さんが見かねて営業を始めたといいます。
お笑いライブの企画や、かつて出演していた番組の関係者への営業など、すべてが初めての経験だったとか。
会社の経営も独学で乗り切り、成り行きで始めた社長業でしたが、光代さんは「これは私の天職です」と語っています。
2人の馴れ初めは新人合同コントライブ
お二人のこれまでの時系列です。
1990年日 9月26日:結婚
馴れ初めは新人合同コントライブのネタ合わせ
画像引用元:日刊スポーツ
お二人は、新人合同コントライブのネタ合わせで出会いました。
出会いは事務所の「新人合同ライブ」のネタ合わせで、場所は光代さんの家だった。光代さんは太田との初対面がその時だったとし、「太田さんっていう人がその日から(自分の家に)いついた。始めた会ったその日から、いついたの。みんな帰ったのに1人だけ戻ってきて、ずーっといるの、今でも」と笑った。
引用元:スポニチ
光代さんは、太田さんがなかなか帰らないことを不思議に思っていたそうです。
当時、太田さんは実家のある埼玉県上福岡に住んでいました。
光代さんはそれを勘違いし、「福岡県から上京してきて住む場所がないから帰らないのだ」と思い込んでいたとか。
太田さんがその後も家に居座っていたため「好きでも嫌いでもないなら、出て行ってほしい」と伝えると、太田さんは自分たちはつき合っていると思っていたようです。
実は、太田さんはネタ合わせで光代さんに出会ったとき、「綺麗な人だな」と一目惚れしてしまったそうです。
太田さんらしい個性的でユニークなエピソードですね。
お二人が結婚することになったきっかけも「コンピューター占い」という、ちょっと珍しいいきさつがあったとか。
交際をはじめた翌年のバレンタインデーに、デパートで「コンピューター占い」したところ、相性100%の結果が出たそう。
これまでにない結果だったため、スタッフが何度も占いをやり直しましたが、同じ結果が出て驚いていたようです。
光代さんは、その男性にすぐプロポーズするように勧められたと話しています。
家に戻り太田さんに結婚したいと話すと、「別にいいよ」と答え結婚することになったそうです。
現在も公私にわたり一緒に過ごすことが多く、仲の良さが伺えるお二人ですが、長い結婚生活の中では離婚の危機もあったといいます。
太田さんが歩み寄り、光代さんの希望をかなえ、夫婦で旅行に行き温泉でゆっくり楽しんだといいます。
また、自宅の環境を変え、別々のことをしていても同じ部屋で過ごせるようにし、最近では夫婦の時間を大切にしているそうです。
出典:太田光代さんInstagram
太田光に子供はいる?
画像引用元:クランクイン
太田光さんに子供はいません。
「光も私もお互い一人っ子で両親のためにも子供が欲しかった。不妊治療をしているとき、お義父さんは会うたびに『子供つくったら?』と言ってきたんですが、お義母さんが『あなたは忙しいんだから無理しなくていいんだよ』って私をフォローしてくれて。子供には恵まれませんでしたが、お義母さんの言葉に気持ちが楽になってどれだけ救われたことか」
引用元:カナコロ
33歳のときに夫婦で不妊治療を始め、一度期間をあけて光代さんが40代のときのも再び治療を受けていたそうです。
当時は麻酔が使えず、強い痛みを伴う治療に、身体的にも精神的にも大きな負担を感じていたと光代さんは話しています。
光代さんは、40代での治療は3回までと決めており、仕事の忙しさや震災の影響などが重なり、その後の治療は断念されたようです。