政治家として活躍し、静岡県馬術連盟会長も務める、国民民主党所属・参議院議員の榛葉賀津也(しんばかづや)さん。
そんな榛葉賀津也さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。
この記事では榛葉賀津也さんの家族構成や両親について紹介していきます。
榛葉賀津也の家族構成図
榛葉賀津也は5人家族
榛葉賀津也さんは、5人家族です。
父親:榛葉達男
母親:榛葉公子(しんばきみこ)
姉
兄
榛葉賀津也
ご両親と兄弟3人という家族構成です。
榛葉賀津也さんは3人兄弟の末っ子なんですね。
榛葉賀津也の実家は静岡県菊川市
画像引用元:X
榛葉賀津也さんは、静岡県菊川市で育ちました。
父親も母親も戦争遺児だったので、子どもへの躾や教育が厳しかったようです。
家では20匹以上のうさぎを飼っていて、餌やりは子どもたちの仕事でした。
父親はうさぎを飼っている理由を「うさぎ年だから」と言ったそうです。
父に「なぜウサギ飼ってたの?」と聞くと、「だってお父さん、うさぎ年生まれだから・・・」の答え。
引用元:k-shimba
うさぎはペットではなかったようなので、子どもを傷つけないように言った父親の優しさが感じられます。
榛葉賀津也さんは小学校から野球を始め、中学・高校時代は野球一筋だったそうです。
あまり勉強はしませんでしたが、中東紛争の報道に関心を持っていました。
政治家になるきっかけの一つです。
榛葉賀津也の父親はどんな人?
父親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
名前:榛葉達男
職業:静岡県議会議員
父親の職業は静岡県議会議員
父親の職業は、静岡県議会議員です。
3人姉弟の末っ子で、菊川町長や県議会議員を務めた父・達男 氏の“命を受け”、わずか5歳の時から8年間、毎日牛乳配達を続けたという。
引用元:FNNプライムオンライン
菊川町(現・菊川市)の町長も務めていました。
町長や議員をやっていた父の姿は、榛葉賀津也さんが政治に興味をもった一つかもしれないですね。
父親のエピソード
榛葉賀津也さんがアメリカに留学することを父親だけが賛成してくれました。
父親が許してくれたことを「意外だ」と、インタビューで答えていました。
野球ばかりして、ろくに受験勉強もしていなかったですが、高2の時受けたTOEFLで450点取れたのもあって留学したいと両親に言ったのです。アメリカへ行って同じスタートラインからやってみようと思ったのです。でも、家族からは大反対されました。ところが、意外なことに父親だけが許してくれたのです。
引用元:k-shimba
仕送りが最小限だとわかり、「父親はやっぱり厳しい」と思ったそうです。
榛葉賀津也の母親はどんな人?
母親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
名前:榛葉公子(しんばきみこ)
生年月日:1941年
年齢:享年77歳
母親のエピソード
アルバイトの牛乳配達をさぼった時は母親が配っていました。
父親にさぼっているのがバレないようにしてくれたようです。
配達は死ぬほど嫌だった。雨が降り、びんを割ったりすれば泣きたくなったが、割った分はしっかり給料から天引きされた。私は幾度かストを決行した。勇気のいる抵抗であり反乱であった。が、そのたびに母が犠牲となって配ってくれた。
父にバレないようにと。
引用元:k-shimba
父親は厳しいだけでしたが、母親は優しかったそうです。
榛葉賀津也の姉と兄はどんな人?
姉、兄のプロフィールや顔画像は?
画像引用元:k-shimba
後ろ:姉
右:兄
左:近所の沢崎かよ子ちゃん
姉と兄は一般人のため情報がありませんでした。
5歳上の姉と、3歳上の兄がいます。
姉と兄のエピソード
榛葉賀津也さんは「末っ子は損だ」と思っていました。
父の命でやらされていた牛乳配達を、姉と兄が辞めると引き継いでやっていたからです。
私が2年生になった年、姉が中学生になり、配達から「引退」した。姉の担当分を兄と私が引き継いだのだが、私はあの時の姉の笑顔が忘れられない。4年生になり、兄が中学へ行くと彼も配達をやめた。私一人になった。心から「末っ子は損だ」と思った。
引用元:k-shimba
嫌だった牛乳配達を5歳から13歳まで続けました。
大人になってからは、牛乳配達の「こはら商店」と父親に感謝しています。