政治家や弁護士としても活躍している吉村洋文(よしむらひろふみ)さん。
そんな吉村洋文さんですが、どんな家庭で育ったのか気になりますよね。
この記事では吉村洋文さんの家族構成や両親について紹介していきます。
吉村洋文の家族構成図
吉村洋文は4人家族
吉村洋文さんは、4人家族です。
父親
母親
兄:吉村利博
吉村洋文
ご両親と兄弟2人という家族構成です。
吉村洋文さんは2人兄弟の次男なんですね。
吉村洋文の実家は大阪府
画像引用元:FLASH
吉村洋文さんは、大阪府河内長野市で育ちました。
父親は大阪府出身で、母親は広島県出身です。
広島県には親戚も多くいるので、広島に対する思いも強くあります。
幼少期は剣道を習っていて、地元の観心寺で開かれていた剣道大会に出場していました。
中学時代は読書を好んで、愛読書は公民の教科書でした。
この頃から政治への関心が強く、他の中学生とは少し違っていたようです。
高校時代は口数も少なく、みんなを引っ張っていくリーダータイプではなかったようですが、頭もよく、ちょっと生意気なところもあったとか。
運動も出来たので、女子からの人気も高かったようです。
吉村氏は実家からほど近い、千代田小学校、千代田中学校という公立校に通った。中学時代の同級生が話す。
「僕たちは『よっしん』と呼んでいました。彼はとにかく勉強ができました。中学校は一学年で7クラスあったんですが、成績はほぼずっと学年で1位だったと思います。陸上部に入っていて、スポーツも万能でしたし、女の子からもモテていましたよ」
引用元:週刊現代
高校時代にはラグビー部に所属し、活躍していました。
23歳で司法試験に合格し、驚異のスピードで成長を続けていきました。
吉村洋文の父親はどんな人?
父親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
職業:設計技師
出身:大阪府
父親の職業は設計技師
父親の職業は、設計技師です。
一般的なサラリーマン家庭で、父親は設計職をしているようです。
とてもかっこいい職業ですよね。
父親は弁護士や政治家ではないことに驚きです。
吉村氏は'75年、大阪府河内長野市に生まれた。実家は、ごくごく一般的な「中流家庭」だったと、近隣住民は口を揃える。
「お父さんは電気関係の会社の設計技師で、お母さんはパートをされていました。
引用元:週刊現代
父親のエピソード
吉村洋文さんは、上記のように堅実な家庭で育っています。
父親が会社員という事もあり、金銭感覚も一般的な家庭と変わらず、政治家としても庶民の価値観を理解出来ているのではないでしょうか?
また、読売テレビ「ミヤネ屋」に出演された際には、新型コロナウイルスのオミクロン株が猛威をふるう中、両親に会いに行ったことをお話しされていました。
「私自身も久しぶりに(大阪府)河内長野市の実家に帰り、父と母に会いました」と明かした。「会うのは大体、年に1回。父と母があと何年生きられるかを考えたら、年1回だと、あと数えるくらいしか会えないなあと。だから会おうと判断しました」
引用元:スポニチ
吉村洋文の母親はどんな人?
母親のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
職業:パート
出身:広島県
母親はパート
母親はパートで勤務していたようです。
一般人のため、詳しい情報はありませんでした。
家系を支えるために、少しでも働いていたのかもしれません。
母親のエピソード
吉村洋文さんは、2019年に母親の出身地である広島市に40万円を寄付しています。
広島市が西日本豪雨で被災したため、夏の賞与の手取り分を寄付されたそうです。
母親や広島思いである方だと分かりますよね。
広島は、おかんの故郷じゃけ。もうあの世に行ったけど広島のおばあちゃんからも「原爆がピカっと光るの見たよ」と子供の時に何度も聞いとるけんよ。広島での政治活動は大変だと思うけど、頑張ってくんさい。

吉村洋文の兄はどんな人?
兄のプロフィールや顔画像は?
画像:イメージ画像
名前:吉村利博
生年月日:1970年
年齢:55歳(推定)
職業:会社員
兄の職業は会社員
吉村洋文さんの兄は会社員として働いているようです。
吉村洋文さんが過去のインタビューで、兄の職業について話していました。
兄は父親と同じように機械関係のお仕事をしているようです。
兄のエピソード
吉村洋文さんのお兄さん、吉村利博さんの名前は、生まれた年に開かれた大阪万博にちなんで付けられたそうです。
ちなみに僕の兄の名前は、「利博」。大阪万博の年に生まれたので、万博から一文字とったそうです。どうでもいい話ですが。
お兄さんは1970年生まれなのですね。
昭和のロマンを感じる、とても素敵な名前ですよね。
兄弟仲も良いのではないでしょうか。